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㈱中田建設 創業物語
『先代誕生から現在まで・・・』


   私の父、故中田彰は、大正十三年、飛騨高山陣屋近くに生まれた。当時、床屋をやっていた祖父に連れられ、 幼少期に荘川村(現高山市)仲野に移り住み、義務教育を終えると貧しい経済事情により林業にて家計を支える。


   父の自慢は、そのような環境にもかかわらず、勉学が特別出来て、しかも武道の達人のみが、宮内庁から召集される 岐阜県の3人の文武両道代表選手に選出され、御親閲(皇居にて昭和天皇の御面前にて、剣道の腕前を披露)した経験を持つ事であった。


   戦時中は、海軍の通信部隊に所属し、広島県呉市(大和ミュージアム所在地)に駐留していた。終戦直前には、世界最大 最強の「戦艦大和」にて沖縄に向け、片道燃料のみを積んで決死の特攻予定であったが、特に可愛がって頂いていた上官の好意にて、家督相続者として内地に留まる 命令を受けた為、東シナ海で壮絶な最後を遂げた特攻出撃の戦艦大和に搭乗を許されず、その一命をとりとめた。私は、『もし、上官がそのような命令を出してくだ さらなかったら、父は海の藻屑となり、私もこの世に生を受けることもなかった。』と思うと、大和ミュージアムの戦没者遺留品を前に、止め処もなく涙があふれ出るのをおさえようもなかった。


   戦後の青年期においては、荘川村青年団団長として、御母衣ダム建設団体交渉の中心人物となり、村の円満な移転交渉を まとめることに尽力した。その過程において、夜ごと酒を飲んでは、荒れ狂うダム建設従事者の荒らくれ者何十人を相手に、たった一人きりで、ダイナマイトを腹巻に して木刀1本で乗り込み,こてんぱんにたたきのめした。、さしもの連中も完全に鎮圧され、以後は、すっかりおとなしくなった。父はランボーばりの活躍をし、世界遺産白川郷を始めとする 奥美濃中の英雄であった。70歳代以上のご年配の方々には,今も語り草となっている。

   現に私が、一昨年鷲が岳スキー場の温泉にいった折にも、偶然、地元の名士からも、 直接その伝説のように語り継がれている事実を伝えられ、「あの憧れの中田彰さんの息子に会えるなんて本当にありがたいことや。」とまで感激して頂いた。

   父はその ような豪快な半面、自身がねずみ年生まれのせいか?弱い物には特別優しく、かつ、とても動物好きで、山仕事の最中に、 母グマからはぐれた小さな月の輪グマの赤ちゃんを拾って育てあげ、家族の一員 のようにペットとして飼っていた。2年以上経過した時点で、あまりに大きく凶暴になってしまったため、豊橋総合動物園(のんほいパーク)に、本当に泣く泣く 寄付して お別れした経験も持つ。そのような血を受け継ぐ私も無類の動物好きである。現在、犬2匹、猫2匹(当然、捨て犬、捨て猫)いし亀13匹,沢がに20匹、アメリカザリガニ10匹、金魚10匹、めだかフナげんごろうたにしなど多数のペットに かこまれた生活を送っている。私の幼い時からの夢は、

『いろいろな動物を全て放し飼いで暮らせる楽園を本当に小さくてもいいから築き上げること・・・。』 

                  
より、一個人中田博久としてのタイプ
&その求める暮らし建物について
自然豊かな環境で暮らしたい
カワセミタイプ。 
 
参照として 本格木造くつろぎ住宅 

   ところで、話を父にもどすと、現在も春になると湖畔にある荘川桜が、有名であるが、かつて東洋1のロックフィル式ダムの御母衣 ダム建設時には、水没する運命であった光輪寺からの二本の桜の特別難航を極めた引き上げ移植に、得意中の得意であった土木林業技術で貢献し、地元協力者の中心的存在であった。 現在も荘川桜の記念碑には、「中田彰」の名前が深く深く刻み込まれている。


   御母衣ダム完成後は、縁あって現在の各務原市蘇原早苗町40番地に移り住んだ。今もその利便性や、日当たりの良さまた 日本の中心とも言える立地条件を考慮すると、これ以上は無いというベストな選択をしたと思われ父にいつも感謝している。 東京・大阪・名古屋の出張等、太平洋 ・日本海・信州・北陸・琵琶湖・京都・三重・ウインタースポーツのメッカ奥美濃・ 奥飛騨にも至極アクセスが良く、最高の立地環境であると言える。


   父は各務原に移住してからは飛騨の匠の流れと、林業の経験を生かし、新築・注文住宅を得意とする工務店を創業する。売上げには、一切無頓着で とにかく 顧客満足度第1位主義のみを追求しつづける職人気質な経営者であった。接した人全てを魅了する人気者であり、ヒーローであり、顧客の中には自身の「両親 より大切な人だ!!」と広言する人も数多い。そんな父も病魔には勝てず、平成3年3月には他界する。人に好かれ、酒も一滴も飲まずチョコレートを始めとする甘党中の 甘党であったが、ストレス性の肝臓がんに侵される。皮肉なもので、兄弟の中でも好人物で酒を飲まない父とその下のおじが肝臓がんにて、60歳代半ばの若さで他界している。


   よって、私が、若干28歳の若さで工務店㈱中田建設を名実共に引き継がざるを得ない運命となる。平成3年8月には、先代の特に尽力し つづけていた、地元の最大の鎮守様であるところの、加佐美神社参集殿及び渡り廊下造営工事の指名競争入札に呼ばれた。 本来、第1身統が他界してから1年以内は 喪に服す為、神社仏閣の造営工事は不可能であったはずだが、神主様はじめ地元 氏子総代様や建設業者から構成する、建設委員会の強い要請により、入札に参加させられる 光栄に欲する。

   その過程で、他業者からの圧力にも負けず、その身に余る光栄にこたえるべく、意気に感じた私は、三菱自動車の、当時、キングオブ 4WDの称号を 欲しいままにしていた、パジェロの購入資金400万円をそのまま、造営工事に寄贈する決意をし、パジェロの購入を断念。先代の弔いと思い、工事原価2,600万円 から400万円を引いたわずか2,190万円で入札をし、二番札にも、 400万円以上の大差で落札した。その時、建設委員からは「渡り廊下の工事代金が漏れているのでは?」と指摘を受けるほどの低価格であった。

   その結果、予算が予想以上に大幅に浮いた造営工事は、次々と別途追加工事が発生し、現在の仕様にグレードアップしていった。竣工式は、 地元全自治会長をはじめとして、市会議員、県会議員ひいては、市長・代議士婦人まで 代理出席する盛大なものになり表彰される。その後は、岐阜県でも最も早く、 先進的な工法である所の、大断面集成材工法による木造3階建て新築・注文住宅を数多く竣工した。その一方で、得意の住宅設備知識を生かし、水廻り総合リフォーム外壁全面塗装 を数多く手掛ける工務店として地域社会に広く認知された。


   またさらに先代から脈々と受け継いだ、工務店としての顧客満足度の高さを源に、航空自衛隊岐阜基地周辺、住宅防音工事において、驚異的なお客様からの指名件数を毎年確保し続けた。25年ほど前の住宅防音工事開始以来の通算指名件数は、県内外200社以上の防音工事施工業社の追随を全く許さない圧倒的なもである。住宅防音工事は、一般的な公共工事に付きものの、談合や裏工作・贈収賄とは、一切無縁の極めて珍しいフェアな公共工事であり、言わば公明盛大な工務店としての好感度調査または、ミスコンテストのようなものである。一途にひたすら、社員及び協力業者の教育、管理を徹底し、品質や精度の高い仕事を限界まで追求し、併せて発生する別途追加工事に対して、どこにも負けないお値打ち価格での提供も、その好結果に相乗効果として連鎖して来た。


   現在は、6年前から本格的に調査研究しつづけていた、新築・注文住宅事業がブレークし始めている。毎日のように新規引き合いがあり、 年間にすると300件をゆうに超える。極めて高い確率にての新築・注文住宅を提供 できている。その多彩かつコンパクトなデザイン性機能性省エネ性能及びそして新築・注文住宅において、最も重要な最終 お引渡し価格における圧倒的な高品質・低価格戦略などが高次元で融合されており、新築・注文住宅を得意とする工務店として極めて高い支持を得ている。

   現場見学会や来社されるお客様のうち、それまでに何十社と他社研究が十分に出来ているお客様程、たった一回30分程度の接客にて、住宅ローン事前審査 ・建築依頼を申し込まれている。その新築・注文住宅工事におけるレベルの高さは、住宅ローンの専門知識の提供においても群を抜く。 最近の実例としては、 特殊な専門知識または、裏ワザ的な交渉にて、一般的な同業他社価格より、はるかにお値打な価格で提供できている。

   建築士及び応急危険度判定士の工務店としての家づくりだけでなく、 東京は青山にある青山学院経済学部卒と宅建主任者資格登録者及びインテリアコーディネーターとしての専門知識をフルに発揮し、新築注文住宅におけるオシャレなエクステリア・インテリアコーディネートにもその天分を余すところなく発揮している。 連日連夜、全身全霊をかけてひたむきに精進努力しつづけている。

   是非、今後の工務店株式会社中田建設、代表取締役、中田博久にご期待下さい。

より、建築家中田博久としてのタイプ
&その求める暮らし建物について
いろんなことに興味あり好奇心
いっぱいのイルカさ んタイプ。
 
参照としてI'mシリーズ・プランコレクション